2021/09/02

世界遺産「チンクエ・テッレ」がディズニー映画の舞台に!

映画「あの夏のルカ」から見る日本愛

「あの夏のルカ」が公開されました。
https://www.disney.co.jp/movie/luca.html

予告編はこちらです。

初めてコレをみた時に、まさかチンクエ・テッレが!しかもその中の一つ、ヴェルナッツァという漁村が「あの」ディズニー映画の舞台となったことに衝撃を受けました。
チンクエ・テッレの村々は、11世紀に要塞都市として建設され、以後1000年にわたって、隣の村との往来は船で行われていた漁村です。陸路で孤立したこれらの村々には、今も当時の面影が色濃く残っています。険しい海岸に色とりどりの家屋が並ぶ文化的景観が評価され、1997年ユネスコの世界遺産にも登録されました。ちなみに「チンクエ・テッレ」は、イタリア語で「5つの土地」という意味で、その中の一つがヴェルナッツァという村、この映画の舞台となっています。

思い返してみると、世界遺産になったことによりジワジワとこの土地を訪れる人が増え、日本からだけでなく、ヨーロッパ、アジア、アメリカと世界中の人たちが訪れる街でした。比較的、若年層というよりも中高年以上が多く、ヴェルナッツァの唯一のメインストリートである通りは「中高年の原宿」と言われるくらいの賑わいでしたが、コロナ禍によって客足が途絶え、チンクエ・テッレのことなど誰もが忘れかけていた頃に、まさかのディズニー映画という大出世。
まるで、ちょっと有名だったアイドルが「最近見かけないね…」と言っていたらいきなり、ハリウッド女優になって戻ってきたくらいの衝撃。そしてコレを機に「あの夏のルカ」はチンクエ・テッレをあげての宣伝となりました。

海の世界に暮らすシー・モンスターの少年たちが、人間の世界へと冒険する様子を描くこの映画は、ディズニー&ピクサー史上初の「夏」を題材とした作品となっています。
ストーリーは非常に簡単、1950年代の北イタリアの港町ポルトロッソ。そこの住民たちは海に住むシー・モンスターを恐れており、一方のシー・モンスターたちも人間を恐れていたところからスタートします。

(起)シー・モンスターのルカは親の言いつけに反して人間の世界に興味を持つ。
(承)陸に上がって人間の姿に変身し、様々な体験をする。
(転)あることを境に正体がバレてしまう。
(結)人間とシーモンスターがお互いを理解し合う。

という王道の中の王道であり、北イタリアの小さな港町を舞台でおこる、爽やかで温かく、ちょっぴりほろ苦くて忘れられない「最高のひと夏」が描かれています。

また映像美も秀悦で、北イタリアの港町特有の海と住民の暮らしの距離が近く、カラフルに塗られた家々が織りなす街並みと青い海とのコントラストが眩しく描かれ、自転車で坂道を駆け下り、海へダイブ、秘密の隠れ家、町をあげてのお祭りに夢中になる子供達、私たちがそれぞれに持っている、どことなく切なく懐かしい記憶が映画を通して蘇ってきます。


いまにもバジリコが香ってきそうなパスタ、本場のジェラートも登場し、映画監督であるイタリア人のエンリーコ・カザローザが生まれ育ったリグーリアの街、幼い頃に実際に体験した思い出などが、映画の中で数多く描かれています。
彼が愛してやまないスタジオジブリと宮崎駿監督から影響をかなり受け、所々に共通点を見出すことができます。映画の舞台になっている「ポルトロッソ」は、映画「紅の豚」のイタリア名「ポルコ・ロッソ」から来ていることも容易にわかります。


エンドロールでは本編のストーリーの後日談をイラストで表現し、「となりのトトロ」の影響を受けています。

皆さんは映画を見てから行く?または、行ってから見る?
イタリア旅行の計画の一つに入れていただきたい場所、「チンクエ・テッレ」の美しさを十分に堪能する映画となっています。

東京オリンピックから見る日本愛

今年の夏はイタリアにとって忘れることができない「我らの人生最高のオリンピック」と言われています。イタリアはこれまでのメダル獲得数36個を大きく上回る、40のメダルを手に入れたからです。金10個、銀10個、銅20個。

オリンピック前、イタリアの活躍を予想した人はいませんでした。というか、7月に行われた欧州サッカー選手権でのイタリアチーム優勝のインパクトが大きすぎて、オリンピックがあることすら認知されていませんでした。イタリア五輪委員会の会長、ジョヴァンニ・マラゴは東京で戦う選手たちのポテンシャルの高さを何度も説いていましたが、多くの人はそれをただの絵空事だと思っていた節もあります。

しかし、大会が始まるといきなりテコンドーで金メダル。そこからオリンピック熱は北から南までイタリア中を巻き込んでいきました。イタリアでオリンピックはそれほど人気のある大会ではありません。サッカーに比べると注目度はかなり劣ります。
しかし新聞各紙でも、始めは数ページのみがオリンピックの記事に当てられ、あとはサッカー情報などが大半でしたが、日を追うごとにオリンピックの記事がページ数が増え、一面の大半を占めるようになっていきました。

最高潮に達したのは陸上男子100メートル決勝。まさかイタリア人選手、マルチェル・ヤコブスがこの花形競技を制し、イタリア人が金メダルを首にかける瞬間をこの目で見ることがあるとは。多くの人がこれが現実とは思えない、夢でも見ているような感覚だったことでしょう。
さらにそのあとの男子4×100メートルリレーの金メダルは、欧州サッカー選手権の決勝に続いて、イングランドを破り勝利となりました。

毎日のように東京から届くメダルのニュースは、イタリアという国に再び自信と希望をもたらしてくれました。イタリア人はこの東京オリンピックに本当に救われ、コロナ禍という困難の中、開催してくれた日本に感謝の気持ちを誰もが伝えたいと思っています。

ミラノ、川倉靖史