2020/10/14

「ミラノは先行逃げ切り型なのか?」10月5日

実効再生産数から見る収束のシナリオ

イタリアのコンテ首相は10月1日、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた非常事態宣言を、来年1月末まで延長することを議会に提案する意向を示しました。他の欧州諸国で感染が再び急拡大する中、感染者急増を回避するため。
5日に発表したイタリア国内の実効再生産数は、このようになっております。

この値は一人の感染者が何人に感染させるかを表しており、1.0以上だと感染拡大、1.0未満だと収束へを向かっているとのことです。現在、ミラノのあるロンバルディア州は「0.86」という、収束へ向かってとても良いスコアを叩き出しています。
さらに京都大学の教授、上久保靖彦氏の新説を当てはめて見ると、
新型コロナウイルスの流れとは、

2019年10月~12月に世界中に拡散した「S型」

2020年1月にS型の変異形で弱毒性の「K型」

2020年3月にK型の変異形で強毒性の「G型」

となっております。
7月の記事でも書いたように、北イタリアは去年の暮れに「謎の肺炎」が流行し、12月のミラノとトリノの下水サンプルからは、コロナウイルスの遺伝子が検出されています。

つまり、2月の公式「コロナ第一号者」より以前から存在していました。

100年前のスペイン風邪の周期

去年の暮れを第一波と仮定すると、100年前のスペイン風邪の周波をなぞるような形で、3月の第二波で感染爆発し、9月から始まった第三波をもって収束に向かってもらいたいと強く願っています。100年前のスペイン風邪は第四波らしいものは無かったので、現在のこの山場を持って逃げ切り、イタリアの緊急事態宣言が1月に延長された場合、もうその辺でコロナ騒動は勘弁してほしい…。

17世紀ペスト禍の感染対策「隔離」

「保険局が恐れていたことが現実になった。ドイツのアラマン人たちがミラノにペストを持ち込んだのだ。感染はイタリア中に拡大している…」
これはマンゾーニの書いた小説「いいなづけ」の31章冒頭、1630年、ミラノを襲ったペストの流行について書かれた一節です。

検疫制度が重要であることは1629年10月にミラノにペストが到達した時に明らかにされました。しかし1630年3月にミラノでカーニバルが開かれた際に検疫の条件を緩和し、その結果、ペストが再発し、最盛期には1日3500人の死者が出たと言われています。

このパンデミックの様子は、1822年に書かれたマンゾーニの小説「いいなずけ」で描写され、衛生局や医者の後手後手にまわる対応、ペストにかかって腹心の部下に裏切られる悪党、ペストを広める毒物をまく「ペスト塗り」にまつわる風評被害、死体運搬人の荷車に飛び乗って窮地を脱する主人公の冒険、そしてミラノの巨大な隔離病棟で「いいなづけ」との劇的な再会…。ラブ的な要素を除けば歴史小説と言ってもいいくらいに詳しく記述されています。

運搬されていく遺体

まさかノミが媒介するとは誰も思わず、空気感染の疑いを考え、まず風向きを考えて作られた隔離病棟を建築し、感染者をそこに移しました。それが現在のポルタ・ヴェネツィア地区になります。

現在は住宅地になっている

1489年から1509年に建築されたこの建物は、ミラノを囲んでいた城壁の外に建てられ、370メートル×378メートルという広大な中庭を持つ建物でした。 敷地の広さでいうと東京ドーム3個分くらいにあたります。正面玄関はミラノ市内に向き、裏口は墓地を所有する聖グレゴリオ教会へ繋がっていました。


当時の隔離病棟付近の街並み

大きな窓がそれぞれの部屋にありましたが、夜は外から鍵をかけられ、さらに建物の外には小さなお堀(下水も流していた)があるため、完全に逃走経路は絶たれてしまいました。

唯一残された隔離病棟の一部

ヨーロッパにおけるペストのパンデミックは14世紀後半から始まっています。しかしミラノは不思議なことにパンデミック初期はほとんど被害に遭わず、150年ほど遅れてペストが伝染してきました。

本格的な感染爆発よりかなり前の段階で隔離病棟を建設しておりましたが、どんなに重要な対策である「隔離」をしたとて周辺諸国ですでに蔓延していたため、一気に追い込みをかけるようにミラノも感染都市の仲間入りをし、その感染スピードの速さに人々は恐怖のどん底に叩きつけられたような感じでした。

パンデミック後の世界観

死者が後を絶たないため葬儀や埋葬も追いつかず、いかなる祈祷も人々の心を慰めることはできませんでした。教会では生き残って集まった人々に対して「メメント・モリ(死を想え)」の説教が行われ、早かれ遅かれいずれ訪れる死に備えるように説かれました。しかし、死への恐怖と生への執着に取り憑かれた人々は、祈祷の最中、墓地での埋葬中、または広場などで自然発生的に半狂乱になって倒れるまで踊り続け、この集団ヒステリーの様相は「死の舞踏」と呼ばれるようになりました。

ミヒャエル・ヴォルゲムートの「死の舞踏」、版画

「死の舞踏」は死の恐怖を前に人々が半狂乱になって踊り続けるという14世紀のフランス詩が起源となった、死の普遍性があげられます。
生前は王族、貴族、僧侶、農奴などの異なる身分に属しそれぞれの人生を生きていても、ある日訪れる死によって、身分や貧富の差なく「無」に統合されてしまう、という死生観です。

結果として、ワクチン等の有効な治療策もなく、高熱と下痢を発症し、最期には皮膚が黒く変色し、多くの人が命を落としていく姿を目の当たりにしたアフターペストの世界では、人の命はとても脆く、現世での身分、財産、軍役での勲章などペストの前では如何に無力なものであるかを、当時の人々にまざまざと見せつけることとなったそうです。

現在、ミラノの新規感染者数は8月の減少期(8月上旬で一日の新規4人程度)に比べかなり増加しています。

ロンバルディア州全体、人口は1000万人ですが、新規感染者は250人前後、東京みたいな感じでしょうか。

またミラノ市150万人に対して60人前後の新規感染者となり、実数としてはまだまだ多いですが、実効再生産数が1.0を下回ったことにより、一筋の希望の光が見え「復活の日」に向け我々は何をすべきかをあらためて考える時期に入ってきました。
ミラノよ、このまま逃げ切ってくれ!

(ミラノ/川倉靖史)