2021/03/12

フィレンツェに桜舞う季節、チェチェリ山とダ・ヴィンチの空を飛ぶ夢。

花ざかりのフィレンツェ

こちらフィレンツェは最高気温20度に達するなど急に気温が上がり、突然、春がやって来ました。
イタリアは去年のコロナ対策の「全国都市封鎖」から一年が経ち、まだまだ続く活動制限、様々な職種に絡む経済的影響などで、不安で苦しい状態がいまだ続いています。
そんな中、気温の上昇とともにフィレンツェの並木道や庭園などが淡いピンク色に染まり始めたと思ったら、あっという間に木蓮や桜が満開になり、道ゆく人たちが足を止めてスマホで写真を撮る姿が目立ち始めました。
フィレンツェのモクレン
フィレンツェのモクレン
フィレンツェの桜
フィレンツェの桜
伝染病によって突如生命が脅かされ、日常生活が急変し、誰も想像をしていなかった様な非現実的な毎日を送らなければいけなくなった中でも、例年と変わらず訪れる「春の陽気」になんとも心が慰められている気がしました。

ルネサンス先駆者を魅了した石

トスカーナ チェチェリ山
そんな中、暖かくなってきた散歩日和の日曜日、運動不足解消のために近くのチェチェリ山に登ることにしました。
チェチェリ山はフィレンツェ北東にある海抜415mの小高い丘(「山」と呼ばれてますが。。。)です。

チェチェリ山の ピエトラセレーナの石切場跡
私が選んだコースでは、登り始めるとすぐ麓に「マイアーノの石切場」が見えてきます。
実はこのチェチェリ山近郊は石切場跡が多くあり、この丘から切り出されたピエトラ・セレーナ(青空石)という石を使ってフィレンツェに様々なルネサンス建築の傑作が生まれました。

採掘場のゴロゴロ転がるピエトラ・セレーナ


「ルネサンス建築の父」と呼ばれたフィリッポ ・ブルネレスキは、このピエトラ・セレーナに早くから目をつけ、本格的にフィレンツェの建物に取り入れ始めた事で知られています。
ピエトラ・セレーナは、水色に似た灰色の砂岩で、漆喰の白い色と合わせるととてもエレガントな二色の組み合わせになります。
その為ルネサンス期から人気を集め、あっという間にフィレンツェの街のシンボル的な石となりました。

ピエトラ・セレーナを使った代表的な建物は、フィレンツェで「最初のルネサンス建築」と言われるオスペダーレ・デッリ・イノチェンティ(捨て子養育院)、ミケランジェロのラウレンツィアーナ図書館やウフィッツィ美術館などが挙げられます。

最初のルネッサンス建築「オスペダーレ・デッリ・イノチェンティ(捨て子養育院)」柱や扉の装飾にピエトラ・セレーナが使われている。


ウフィッツィ美術館の柱廊に使われたピエトラ・セレーナ


ピエトラ・セレーナは風化に弱いのが玉に瑕。。

粒子が大きくざらざらとした仕上がりになり、風化もしやすかった為、彫刻への起用は稀だったものの巨匠ドナテッロがライオン像「マルゾッコ」や「豊穣の女神像」、「受胎告知」などの名作を残しています。

シニョーリア広場にあるドナテッロの「マルゾッコ」(こちらはコピーでオリジナルはバルジェッロ博物館の中にあります)


共和国広場にあるドナテッロの「豊穣の女神」(こちらはコピーでオリジナルは消失)

フィレンツェ近郊で採掘でき、安価であった為、石畳、扉や窓の装飾などにも一般的に使われ、フィレンツェの街の至る所にピエトラ・セレーナは見られます。

扉の装飾に使われたピエトラ・セレーナ


シニョーリア広場の石畳

かつてチェチェリ山には多い時で40の採掘場があり、1900年代初めまでは日の出から日の入りまで石切作業をする男たちが忙しく働いていたようですが、石の需要の減少とともに採掘場は閉鎖されていき、現在は森に囲まれた採掘場跡が残るばかりです。

ダ・ヴィンチが空に描いた夢

石切場の洞窟

ゴロゴロと石に取り囲まれた洞窟の様な石切場跡を横目に見ながら、丘の上に向かって登って行くと、途中「レオナルド・ダ・ヴィンチ広場」と書かれた道標が見えてきます。

レオナルド・ダ・ヴィンチ広場行き。

実はチェチェリ山はあのレオナルド・ダ・ヴィンチが飛行実験をしたことでも知られています
結構急な傾斜の山の小道(舗装されていません)を滑りそうになりながら登って行くこと約30分、ピクニック用のベンチとテーブルが置かれた小さな広場に出てきます。
この広場が、あの有名なレオナルドが飛行実験を遂行した場所で、それを証明するかの様に小さな石碑が置かれています。

レオナルドの飛行に関する手稿の一部が刻まれた石碑

そこにはレオナルドが手稿に書き残した飛行に関する記述の一部が刻まれています。

「チェチェロ山より巨大な鳥が初めて飛翔するだろう。それは世界中を驚きで満たし、その名声は全て書き尽くされる事になるだろう。生まれ故郷に永遠の栄光あれ。」

レオナルドの飛行実験を説明する看板

レオナルドは鳥の飛行に非常に強い関心を示しており、このチェチェリ山の上で鳥を眺めては、その飛行経路などを観察し研究していた様です。
レオナルドの手稿には数多くの飛行道具が考案されており、その中にはペダルとレバーを使って羽を動かす事ができる「大きなトビ」と呼ばれた飛行機械もありました。
飛行実験が遂行されたのは1505年、実際に飛んだのはレオナルドの友人で「ゾロアストロ・ダ・ペレトラ」と呼ばれたトンマソ・マジーニ(なぜ本人が飛ばなかったのか謎ですが。。。)がレオナルドが考案した飛行道具を身につけて、チェチェリ山から飛び降りたそうです。
現在は広場の周りは森のように木が生い茂っていますが、レオナルドが生きていた当時はピエトラ・セレーナの採掘場が至る所にあり、丘は石が剥き出しになった見晴らしがいい崖だった様です。

トンマソが飛び降りた崖を下から見上げて撮影

結構な高さがあり、勢いをつけて飛び降りるにはかなり勇気が必要だったのではと思いますが、空を飛べると完全に信じ切っていた(洗脳されていた?)トンマソには怖いという思いは微塵もなかったのかもしれません。。。
実際トンマソ&レオナルドの飛行実験は大成功だった様で約1000メートルほど飛んだという記録が残っています。
しかし着地に失敗してトンマソは大怪我をしたそうですが。。。

チェチェリ山からの眺め

トンマソが飛び降りた丘からはフィレンツェを取り囲む美しい丘陵地帯が眺められます。今でもレオナルドが飛行実験をしたこの丘には沢山の人たちが訪れ、この有名なルネサンスの巨匠が抱いた「空を飛ぶ」という夢と情熱のお話は、多くの人たちを今でも魅了し続けているのが分かります。

「空を飛ぶという事を知ってしまったら、きっと君たちは地上を歩く時も空を見上げてしまうだろう。何故ならばあの空に戻りたいと思ってしまうからだ。」
(レオナルドの手稿より)