2021/04/26

フィレンツェの散歩道~偉人たちの記憶をたどって①

【スカルペッリーノの細道とミケランジェロの遠い記憶】
前回はマイアーノ山の散歩道とレオナルドの飛行実験のエピソードについてご紹介させていただきました。
このマイアーノ山から近いところにコルビニャーノというローマ時代のカッシア街道上に作られた小さな集落があります。
今回はこのコルビニャーノからスカルペッリーノの細道を通ってセッティニャーノまでの散歩道をご紹介したいと思います。

穴場!イタリアサッカー博物館

散歩道はコヴェルチャーノ地区ガブリエレ・ダンヌンツィオ通りから歩き始めます。
(中心街から来る場合はサン・マルコ広場からバス10番settignano 行き「D’annunzio09」で下車してください。)
通りは歩道がとても細く車も結構通るので気をつけないといけませんが、フィレンツェの旧市街とは違って素朴な住宅街を歩いていきます。

サッカーのイタリアナショナルチームが練習するテクニカルセンター

途中あの有名なイタリアのナショナルチームが練習する「イタリアサッカー協会テクニカルセンター」の前を通ります。
このテクニカルセンターにイタリアナショナルチームの歴史を紹介する博物館があり、ナショナルチームが練習に来る為、この「コヴェルチャーノ」の名前はよくスポーツ関係のニュースで耳にします。
サッカーファンにとっては穴場のテンションが上がる名所ですね。

文化人が愛した街、コルヴィニャーノ

コルヴィニャーノ通りの入り口

そして歩き始めること約10分、小さな小川の上を渡るメンソレ橋に着くとそこを左に曲がります。
そこからコルビニャーノ通りが始まります。

メンソラ橋の近くの「青空古本交換スペース。いらなくなった本を自由に持ち込むことができ、読みたい人が持ち帰ることができるようになっています。

コルヴィニャーノ周辺に生まれた/住んでいた著名人たち石板2枚。

トスカーナらしいオリーブ園が左右に広がる細い並木道の入り口には、2枚の石板が設置され、そこにコルビニャーノ周辺に生まれた、もしくは滞在した著名人たち名前がズラリと刻まれています。
その中には私たち日本人でも知っているような著名人たちの名前が書かれていて、その一部を挙げると
ミケランジェロ (ルネサンスの彫刻家)
ボッカッチョ (「デカメロン」の作者)
デジデリオ・ダ・セッティニャーノ(ルネサンス期の彫刻家)
ベルナルド&アントニオ・ロッセッリーノ(ルネサンス期の建築家/彫刻家の兄弟)
ガブリエレ・ダンヌンツィオ(近代イタリアの詩人、作家、記者)
などなどと続きます。
外国人の著名人には、TVアニメでおなじみ「トム・ソーヤの冒険」や「ハックベリー・フィンの冒険」で有名なマーク・トウェインの名前が見られます。

実はこのコルビニャーノからセッティニャーノにかけてはフィレンツェのすぐそばにありながら、トスカーナの典型的な緑の風景に囲まれて住めるという事で外国人達からバカンス地として人気を呼んだ地域でした。
マーク・トウェインは三度もフィレンツェに滞在し、最後の滞在は体調がすぐれなかった妻をいたわり、自然に囲まれたセッティニャーノ、そしてフィレンツェ北西にあるクアルト宮殿などに滞在しました。(しかしその滞在中の1904年に彼女は亡くなっています。)
マーク・トウェインがここに長期滞在を決めたのは、トム・ソーヤが活躍するミズーリ州の片田舎と、トスカーナ州の田園風景に共通点が多かったからかもしれません。

のどかなオリーブ園を左右に見ながらコルヴィニャーの通りを登って行く事約10分、こぢんまりとした古い建物が並ぶコルビニャーノの住宅街が始まります。
そしてそこにいきなり「CASA DI BOCCACCIO(ボッカッチョの家)」の石板が現れます。


隣にある扉があまりにも地味で古臭いので一瞬目を疑ってしまいますが、この家はあの「デカメロン」で有名なボッカッチョの父親が所有していた家になるそうです。
誕生地がはっきりしていないボッカッチョは、裕福なフィレンツェの商人だった父親とチェルタルドという街の貧しい女性との間に生まれた私生児でした。
その為、誕生地はチェルタルドである、という説が有力ですが、この家が生家であると主張する声もあります。

コルヴィニャーノの静かな街並み

さて、このコルビニャーノ出身のイタリア人にルネサンス期の彫刻家や建築家が多いのは、この地域がマイアーノと共に石の採掘場で栄えていたことがやはり大きく関係しているようです。実際コルビニャーノはルネサンス時代から石切場で働く職人たちが住んでいた集落として知られていました。現在は、殆どの石の採掘場は閉鎖されている為、石切職人たちの面影はなく街はひっそりと静かな住宅街となっています。

オリーブ園を抜け、セッティニャーノへ

グーグルマップには出てこないオリーブ園の小道

コルビニャーノ通りをさらに歩いていくと舗装された道が終わり、そこからはグーグルマップには載っていない丘の小道を登って行く事になります。
傾斜がキツいので足元を気をつけながら歩き続けると、途中周りがオリーブ園となり、ふと振りかえるとオリーブの木の向こう側にフィレンツェの街が広がっていることに気づきます。
その光景は穏やかで美しく、フィレンツェ〜トスカーナを独り占めしているような優越感に浸れるなんとも特別な場所です。
ここにかつてボッカッチョがオリーブの木の下に座り執筆したり、幼いミケランジェロが乳母に連れられて散歩していたのではないかと思うとなんとも感慨深いものがあります。。。
さらに砂利道を進んでいくと、デジデリオ・ダ・セッティニャーノ通りに出ます。
サン・ロマーノ祈祷所まで歩き、祈祷所のそばの古い「スカルペッリーノの細道」に入ります。

かつて石切職人たちが往来していたスカルペッリーノの小道

ミケランジェロの遠い記憶を綴った石板

「スカルペッリーノ」とは「石切職人」という意味で、かつて石の採掘場を往来する石切職人たちの通り道だったようです。
鳥の囀りを聴きながら小さな小川などを横切って森の中の細い山道を進んでいくと、左手に石板が現れます。そこにはミケランジェロがこのそばで幼少時代を過ごし、彫刻家となる様にインスピレーションをここから受けたという様な内容の彼の証言が書かれています。

「ミケランジェロの言葉の中のセッティニャーノの石切職人たち
『あそこは石の採掘場が沢山あって石に溢れている場所だ。そこでは、この地域一帯に生まれた彫刻家、石切職人たちが絶えることなく働き続けている…
こうして私は乳母の乳を吸う様に(彫刻に使う)金槌やノミも吸収したのだ。』
ジョルジョ・ヴァザーリ「芸術家列伝」より」

ルネサンス期の最も有名な彫刻家ミケランジェロは、現在のアレッツォ県にあるカプレーゼと言う街に生まれました。
その後すぐに家族はフィレンツェ近くのセッティニャーノに引っ越してきましたが、母親はなんらかの理由でミケランジェロに乳を与えることができなかった為、地元の石切職人の妻がミケランジェロに乳を与えていたと言われています。
また別の彼の思い出の中には、「大理石の粉の混じった乳を飲んでいた」と言う言葉もあることから、このセッティニャーノ周辺の幼少時代の遠い記憶が、彼の彫刻家への道の原点となったと本人も自覚していた様です。
さて、石板の先にある階段を上がっていくとセッティニャーノの街に入ります。
この小さな街「セッティニャーノ」は、ルネサンス期に人気を誇った芸術家デジデリオ・ダ・セッティニャーノ(セッティニャーノのデジデリオという意味)の名前と結びついて知られている街です。
実際に街の中心近くにある広場は「デジデリオ広場」と名付けられ、この著名な彫刻家を象った彫刻像が置かれています。

彫刻家デジデリオ・ダ・セッティニャーノ

ミケランジェロよりも約半世紀前に生まれたデジデリオは初期ルネサンスに彫刻の人物表現に一つの変革をもたらせた芸術家として評価されています。
彼が特に好んで作ったのは優美な女性、屈託のない無邪気に笑う子供達など大理石で作られたとは思えないような甘美な雰囲気、柔らかい表情という新たなリアリズムを築き、初期ルネサンスのフィレンツェで非常に人気を誇った彫刻家になります。

デジデリオ・ダ・セッティニャーノ『笑う少年』


(出典: Kunsthistorisches Museum)
ミケランジェロやデジデリオ、ベルナルド、アントニオ・ロッセッリーノなどこの街で生まれ、育った芸術家達は、石の街セッティニャーノに強いインスピレーションを受け、石を自在に操る彫刻家、建築家となっていきました。
かれらの作品に共通する点は、まるで石で作られた彫刻像の中に魂が宿っているかのように生き生きとしている点にあります。
ミケランジェロの言葉の中には象徴的な言葉が残されています。
「すべての物質(大理石の塊)の中に形態が閉じ込められている。肉体の中に魂が囚われているかのように。。。」