二度目のミラノにオススメ!ミラノの穴場観光スポット7選

デザインとファッションの街ミラノ
知れば知るほどおもしろくなるような
隠れた穴場スポットをご紹介
ドゥオモと最後の晩餐とショッピング
それ以外の楽しみ方を
見つけてみませんか

ナヴィリオ地区

今は大部分が埋め立てられてしまいましたが、昔、ミラノには運河がいくつかありました。ミラノは大理石などの資源が豊かでないため、運河を利用し、地方から資源を運びいれていました。運河は大聖堂付近までのびていて、大聖堂を建築していた頃はその運河を利用し、大理石などを運び入れていたそうです。

現在でも運河の残る地区が、このナヴィリオ地区です。運河沿いにはバールやレストランが建ち並び、夜はアペリティーボや食事を楽しむミラネーゼであふれかえります。

ブレラ絵画館

ブレラ大学内にある美術館。マンテーニャの「死せるキリスト」、カラヴァッジョ『エマオの晩餐』 、ラファエロ「聖母の婚礼」、フランチェスコ・アイエツ「接吻」など名作揃いです。

また、ブレラ地区はミラノの中でも唯一、といっていいほど、イタリアらしい地区。ミラノにはあまり石畳などがなく、舗装された道がほとんどですが、この地区には石畳などがあります。

 

 

Colonne_di_San_Lorenzo

コロンネ・ディ・サン・ロレンツォ

ミラノは近代的な街ですが、実はこのような遺跡が、現在も街中にも残っています。

大聖堂から伸びるVia Torino。ミラノ有数のショッピングストリートを10分ほど歩くと、突如この柱が現れます。なんの前触れもなく、比較的近代的な建物が並ぶ中にあるので、初めて見る方は驚くでしょう。

この柱は、ローマ時代、3世紀ごろの建造物といわれています。柱の総数は16本、高さは8.5メートルと、見上げるくらいの高さです。

この柱は元々、マッシミアーノ皇帝の指示で造られたテルメ(温泉)、もしくは闘技場を囲んでいたものと言われています。ただ、どこのテルメだったのか、などは不明です。4世紀、柱のすぐ横にあるサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会を建てる際に、現在の場所に運ばれてきました。

現在は、イベントが行われていたり、夜は友人と集まってお酒を飲むなど、ミラネーゼにとっての憩いの場となっています。

場所:Corso di Porta Ticinese 39 Milano

Anfiteatro_romano

アンフィテアトロ・ロマーノ

古代ローマ時代の2~3世紀に建造された、劇場・闘技場の跡地です。

現在は写真のようなものしか残っていませんが、昔はローマのコロッセオのような形をしていた、とされています。

では、なぜミラノの闘技場は、このように取り壊されてしまったのか。

キリスト教がどんどん普及する中、宗教観念から反する、とされていた闘技場(劇場)は、市民から見放されていき、やがて、完全に見捨てられました。

ミラノは資源が豊富な都市ではありません。そこで、先ほどのコロンネ・ディ・サン・ロレンツォに隣接するサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会を建設する際に、悲しいことに採石場として注目されたのが、このミラノの闘技場でした。

闘技場の石を教会建設で再利用されたため、サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会では今も、闘技場から持ってきた石を使った部分がわかるそうです。

なお、このアンフィテアトロ・ロマーノには、博物館も隣接しています。ローマ時代の出土品など、貴重なものが展示されていますので、ぜひお立ち寄りください。

場所:Via De Amicis 23 – Via Arena Milano

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音楽家のための憩いの家

イタリアを代表するロマン派音楽の作曲家・ジュゼッペ・ヴェルディ。

恵まれない環境の音楽家に手を差し伸べることができたら、そんなヴェルディの思いから自身が建てた、音楽家のための保養所です。

ヴェルディは、慈善事業だ、と言われるのを嫌ったため、この施設を生前にはオープンさせず、没後1年経った1902年にオープンしました。

数あるオペラの名作を作曲したヴェルディですが、
「私が作った作品の中で、最も愛している作品は、ミラノに造らせた保養所だ」
というヴェルディの言葉が残されています。

敷地内にはヴェルディの墓があり、ヴェルディが愛した3人の女性、最初の妻マルゲリータ、歌手で長年ともにしたジュゼッピーナ・ストレッポーニ、晩年の愛人で、オペラ「アイーダ」のイタリア初演の時タイトルロールを歌ったチェコ出身の歌手テレサ・シュトルツと共に埋葬されています。

現在もこの保養所には約50人の老音楽家が、暮らしており、中のホールでは、若手音楽家のコンサートが開かれます。

場所は地下鉄1番線のbuonarroti駅を降りてすぐです。

ミラノの壁と門

ミラノをご旅行されたことのある方でしたら、いくつか、凱旋門のような門を見たことがあるかもしれません。実はミラノにはこのような門が、たくさんあります。

ミラノは昔、壁に囲まれた城塞都市でした。その壁は大きく分けてローマ時代(Mure Romane、Mure Massimiane)、中世、スペイン統治時代の3つの時代に建設されています。

壁に覆われていたため、外からミラノ市内に入るには、門をくぐらないと入れないようになっていました。

壁と門は、今はもう取り壊されているのがほとんどで、先ほどのローマ劇場跡のように、再利用されているものも多いようです。

写真は、センピオーネ門。近年修復も終え、とてもきれいな状態で残っています。名前のとおり、センピオーネ公園の入り口にあり、目の前の広場にはバールなどが建ち並んでいるため、外でお酒を飲みながら眺めることができ、とても解放感があります。

その他、ポルタ・ティチネーゼ(中世とスペイン統治時代)、ポルタ・ヌオーヴァ(中世とスペイン統治時代)、ポルタ・ガリバルディ、ポルタ・ヴェネツィア、ポルタ・ロマーナなど、地下鉄駅になっている門も現存しています。

トッレ・ブランカの展望台

センピオーネ公園にある塔「トッレ・ブランカ」1933年にミラノで行われているトリエンナーレの5回目の開催を記念して、建てられました。

高さは108.6mと、あまり高くはありませんが、天気がいい日にはミラノの街並みだけではなく、アルプス山脈も眺めることができます。

ミラノの街中を歩いていても、生活をしていても、ほぼ目に入りません。あまり高くないので周りの建物にさえぎられて、まったくといっていいほど見えないのです。

夜0時まで営業しているので、夜景を見に行くのもオススメです。

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